言ノ葉ノ森TOP>INDEX(もくじ)>シンプルINDEX>第3話(イマココ)
強烈な車酔いでもしているような感覚で、脳が上手く機能しなくなる。
自分が何者で、どうしてこの場所にいるのかも分からず、ただ目の前にいる姫の姿ばかりが頭を占める。
その顔が、すらりと伸びた手足が、ひどく素晴らしいものに思えてくる。
この人よりも美しい存在は、この世界にも元の世界にも存在しないのではないか――この人のことを好きになり、この人に尽くすのが“正しいこと”なのではないかと、そんな風に思えてくる。
――だが、心が完全に支配される寸前、俺の目がふと姫の眉毛を捉えた。
髪と同じく金色で、形は整っているが、やや細過ぎて、あたたかみに欠ける眉……。
瞬間、堰を切ったように頭の中にフローラの姿が……その美麗な眉毛の記憶が溢れ出してくる。
(違う、この眉毛じゃない!世界で一番美しい眉毛は、断じてコレじゃない……!)
「は……!?眉毛……だと!?」
姫の目が驚愕に見開かれ、手の力が緩む。
その隙を逃さず、俺は必死に暴れて姫の手から飛び降りた。
「危ね……っ!もう少しで操られちまうとこだった……!」
「貴様……何なのだ!?何故私を愛さない!?貴様の思考回路はどうなっているのだ!?異世界人にとって眉毛とは、それほどまでに重要な部位なのか!?」
「重要に決まってるだろ!?眉毛ひとつで顔の印象変わるんだよ!」
「認めん!私の美貌が眉毛ごときで負けるはずがない!ちゃんと私を見ろ!そして私を愛せ!」
姫は聖玉に指を当てたまま再び命じる。
しかし俺の心にはもうしっかりとフローラの眉毛の面影が蘇っている。
もはやこの姫の魅力に屈することなどあり得ない。
「もうその手に乗るものか!俺の中のマイベスト眉毛はもう決まってるんだよ!」
「うるさい!眉毛が何だと言うのだ!私を愛せ!私のモノになれ!」
姫は躍起になったように叫び続ける。
その台詞を聞きながら、俺はふと現在のシチュエーションを冷静に分析していた。
(……何かコレ、アレだな。すっごい上から目線な女子に愛の告白されてるみたいな感じになってるな)
俺のその心の声を読み取ったのか、姫の顔が怒りか羞恥か分からないもので真っ赤に染まる。
「……生まれて初めてだぞ。このような屈辱を味わったのは……」
笑っているようで全く笑っていない歪な表情でそう言った後、姫は一気に俺との距離を詰め、再び俺を捕まえた。
「しまった……!」
「心を操れぬと言うなら、力づくで私のモノにするまでだ!来いっ!」
そのまま旅行鞄のようなものに詰め込まれ、フタを閉められ、視界が真っ暗になる。
(うわ……馬鹿かー俺はー。何ですぐにダッシュで逃げなかったんだ……)
どうしてすぐに逃げなかったのか、理由は今ならハッキリ分かる。
平和ボケに育ち、危機意識も何も持っていなかった俺は、上から目線な愛の告白的シチュエーションと、その後のリアクションを、ついつい面白がり観察してしまっていたのだ。
これまでに幾多の困難を乗り越えてきた今の俺だから言うが、逃げるチャンスがあるなら、『ちょっと様子見』だとか『相手の出方を窺って』だとか『今の状況を把握してから』だのと考えず、さっさと逃げっておくに越したことはない。
イギリスに『好奇心は猫を殺す』ということわざがあるが、俺はこの時のちょっとした好奇心を、かなり後々まで悔やむ羽目になる。
何せ、この時、最悪のファースト・コンタクトを遂げてしまった相手は、クセの強い八聖玉姫の中でも相当に厄介な部類に入る、竜王国の“笑わない姫”だったのだから……。