言ノ葉ノ森TOP>INDEX(もくじ)>シンプルINDEX>第3話(イマココ)
今にして思えば、女官のいなくなったこのタイミングで人間に戻り、普通にドアを開ければ良かったのだが……
どうも“おなかいっぱい”状態で快適な寝床の中にいる、というのは人間の理性や思考能力をダメにしてしまうものらしい。
気づけば俺はうたた寝状態に突入していた。
そしてフッと目が覚めたのは、おそらく真夜中……それも、「守らなければ」と思っていた当のフローラに起こされてのことだった。
「……ニャンコさん……っ。こんな所にいましたのね」
「……ふにゃむ……っぎゃッ!?」
ウトウト状態から急激に押しつぶすような勢いで抱き締められ、俺はギョッとして意識を覚醒させた。
「フ……フロー……ニャ?」
「しーっ。あまり大きな声を出してはダメですわ。女官たちに見つからないよう、コッソリ瞬間移動して来たのですから」
(瞬間移動……!?じゃあ、幻でも生霊でもなく、マジでフローラなのか!?)
改めて見つめると、フローラはいかにも『夜にこっそりベッドを抜け出して来ました』という格好をしていた。
服はゆるいシルエットのネグリジェの上にガウン一枚、いつもはハーフアップにまとめている髪も今は全て下ろされていて、昼間とはかなり印象が違う。
何と言うか……ひどく“無防備”な感じだった。
思春期まっただ中の俺は、それだけでも何だかイケナイものを見ている気がして心臓をドキドキ高鳴らせていたのだが……すぐに別の理由で心臓をバクバク激しく動悸させることになった。
「では、私の部屋へ参りましょう。こんな所にひとりぼっちなんて可哀想ですものね」
そう言ってフローラが右手の指先を首元の聖玉に当てた次の瞬間――俺は『F1レースとかSFモノなんかで出て来る“G”って、こんな感じかな?』とおぼろげに想像していたモノを、実際に身を持って体験する羽目になった。
「ぐぶ…………ッニャ……」
だが、それはほんの一瞬の出来事で、そのナゾのGは1秒も経たないうちに消え去った……と思ったら、今度はナゾの浮遊感が俺を襲う。
……いや、正確には浮遊と言うより落下と言った方が正しいのだが……。
(お、落ち……るッ!?)
突如空中に放り出された俺は、そのまま下へと落ちていき……ぼすっと何か柔らかいものの上に着地した。
「!?……???」
「あらあら、少し目測を誤ってしまったようですわ。でも、出現地点が寝台の上で良かったですわね」
後々分かっていくことだが、フローラは瞬間移動のコントロールですら、何回かに1回の割合で失敗する。
目的地点からちょっと横にズレるくらいならまだ良い方で、ちょっと上にズレられた日には、こんな風に空中にパッと出現させられ、そのまま垂直落下するハメになるのだ。
「……ニャンコさん?ひょっとして目を回してしまいましたの?……やはり瞬間移動に慣れていないと、酔ってしまうのでしょうか?」
呆然として反応の無い俺を、フローラが心配そうに覗き込んでくる。
(瞬間移動!?今のが!?……何って心臓に悪いんだ。……つーか、もしかしてココって、フローラの部屋の中……?)
我に返った俺はキョロキョロと辺りを見渡してみる。
そこは豪華なベッドやサイドテーブルといい、女の子らしい花柄のカーテンといい、いかにも“姫様の部屋”という感じの場所だった。
「大丈夫みたいですわね。ではニャンコさん、一緒に寝ましょう。私、ふわもこの動物を抱っこして眠るのが、幼い頃からの夢でしたのよ」
言いながらフローラは布団をめくり、中に俺をもぐり込ませる。
(ね……寝るだと!?一緒のベッドで!?しかもフローラに抱っこされながら!?)
戸惑っている間にもフローラはガウンを脱ぎ、ネグリジェだけという姿になって俺の隣にすべり込んできた。
しかもそのまま両腕を俺の胴体に絡みつかせてくる。
「あったかいですわ……。ニャンコさんってフワフワなだけでなく、ぬくぬくなんですのね……」
猫とは言え、フローラと身体を密着させて寝ているという異常事態に、俺の思春期脳は最早キャパオーバーのオーバーヒート状態で、すっかり思考が停止してしまっていた。
「……不思議なものですわね。私、アーデルハイド様を今一度こちらへお呼びしようとして“扉”を開きましたのに……。まさか異世界のニャンコさんがいらしてしまうなんて……」
フローラは俺を抱きしめたまま、ひとり言のように呟きだす。
「……やはり異世界の方をこちらへお招きするのは難しいことなのでしょうか?もしかして私、もう二度とあの方にお会いできないのでしょうか?」
フローラが何やら俺のことについて語ってくれているというのは、ボンヤリ状態の俺でも何となく理解できてはいた。
だが、その時の俺にはそれよりも、抱きしめられた腕から伝わるぬくもりや、柔らかい髪の感触の方が、遥かに気になって仕方がなかったのだ。
特に、ほのかに甘い香りのする髪――それが、俺の口の周りや鼻先にフワフワと触れてくるのが、ムズムズしてたまらなかった。
……気持ちがいいような……くすぐったいような……。
「……アーデルハイド様……。ワガママだとは分かっています。ですが、私、どうしても、もう一度あなたにお会いしたいのですわ」
フローラが思いつめたような声でそう囁いた直後、俺の鼻のムズムズが限界を突破した。
「ふ……にゃッくしょいッ!」