言ノ葉ノ森TOP>INDEX(もくじ)>シンプルINDEX>第3話(イマココ)
「……ほぅ。にわか仕立てのスパイなど役に立たないと思っていたが、思わぬ成果が得られたではないか」
姫は面白そうにそう言うと、足早に近寄って来て、ヒョイと俺をつまみ上げた。
その姫は、どことなく宝塚の男役を思わせるビシッとした美形だった。
十人見たら十人全員が『美人』と答えるに違いない、分かりやすく整った顔立ち。
だが、無表情なせいか、まとう雰囲気のせいか、その姫にはどこか冷たい印象があった。
「……タカラヅカ?男役?何が何だか分からんが、お前が異世界から来た人間ということは理解した。何故、今そんな姿になっている?……あぁ、なるほど。例のキメラ姫の悪戯か」
(……この女、まさか心を読んでる!?いや、それどころか、記憶まで読んでねぇか!?)
「あのー姫様?何で私を放っておいて、そんな猫と遊んでらっしゃるんですか?……って言うか、その猫!例のフローラ王女のペットじゃないですか!」
すっかり放置されていたトリーヌが訝しげに近づいて来て喚きだす。
姫は再び舌打ちし、トリーヌに身体ごと向き直った。
「やはり、お前のような浮ついた小娘は面倒だな。こうして“成果”も得られたことだし、お前はもう用済みだ。私のことは忘れるがいい」
「……は?何を仰ってるんですか、姫様。忘れろと言われましても、私は姫様の忠実なる僕で……」
「いいや。お前は私とも我が国とも何の縁も無い、ただの娘だ。思い出すがいい。お前の真の姿、真に在るべき場所を」
姫が聖玉に指先を触れ、トリーヌの目を覗き込みながら囁くと、トリーヌの身体が小刻みに震えだした。
――いや、身体だけではなく、瞳も奇妙に震えている。
「……そうだ、私の家は、ココじゃない……何で、こんな所に……?」
トリーヌは震える唇でうわ言のように呟く。
その様子に、なぜか俺の脳裏に例の悪のボスの姿が蘇ってきた。
「思い出したなら忠誠の証を返し、去るがいい。そして私のことも、ここ一月あまりのことも、全て忘れるのだ。良いな?」
命じられると、トリーヌは服の中から例の竜十字のペンダントを引っ張り出し、姫の手のひらの上にシャラリと落とした。
そのまま後ろを振り返りもせず去っていく。
本人の意思をまるで感じさせない、何かに取り憑かれたかのような歩き方だった。
(何なんだ、アレ。まるで何かに操られてるような……って、そうか!操ってんのか、例の心聖玉とかいう聖玉の力で……!)
「ご名答。あの小娘は元はスパイでも何でもない、この国の中産階級の娘だ。諜報活動の精度は落ちるが、足がつかないのがラクでな。……界聖玉宮には鼻の利く番犬もいるようだし」
「この前の悪のボスもあんたの仕業か……!」
「……ほう。猫の姿でも人語が話せるのだな。……言っておくが、先日の窃盗団首領の騒動のことなら、私はあそこまでは指示していない。心を操れると言っても、命令後の各自の行動は、その者の人格に左右されるのでな。件の首領のように怨恨に囚われて暴走する例もあれば、トリーヌのように空回りする例もある。神の力を分け与えられた聖なる石と言えど、万能ではないのだ」
姫は隠そうともせずに自らペラペラ手の内を明かしてくる。俺にはそれが不気味だった。
(コイツ……何でこんな自分から秘密をバラすんだ。まるで、知られても全然構わないって感じで……)
「……あぁ。そうだ。知られたところで痛くもかゆくもない。お前はすぐに私のモノになるのだからな」
「は……!?」
俺の首根っこをガッシリ捕まえたまま、姫はもう片方の手を再び聖玉に当てる。
(まさか、俺の心も操るつもりか!?)
「その通り。我が一族が千年以上もの長きに渡り追い求め続けた異世界との繋がり……。逃すつもりはない。さぁ、私のモノとなれ。私を愛し、私に全てを捧げるのだ!」
強い口調でそう命じられた直後、視界がぐらりと揺れた気がした。