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第1話:異世界の美姫が手招きする・後編

 リィサ姫を伴って建物の方へ消えていく男を見送り、俺は改めて美姫に向き直る。美姫はどことなく緊張したような面持ちで、真っ直ぐに俺を見つめていた。
 
 しばらくの間、気まずいような、でも妙に胸が高鳴るような不思議な沈黙が続いた。
 やがて、意を決したように美姫が唇を開く。
 
「あの……私、フロレンシア・フロラリア・リ・フレイン王国第一王女フローラ・アンリエット・ジョゼファ・ロザリーヌ・フレインと申します」
「え……?今、何て……?」
 
 その、思わず漏らしてしまった我ながら間抜けな疑問の声が、俺の彼女に対する第一声となってしまった。
 
「……ってか、どこまでが国名でどこからが名前だった……?つーか、ファースト・ネームどれ!?」
「あの……フロレンシア・フロラリア・リ・フレインが国名で、私の名は、その……フローラ、とお呼びいただければ……」
 
 軽くパニック状態の俺に助け舟を出すように、彼女が優しくそう申し出てくれる。
 
「そ、そっか、フ、フローラ……」
 
 やっとのことで認識できた、その理想の眉毛の持ち主の名を、俺はドキドキしながら口にした。
 よくよく考えれば、いくら本人から「フローラと呼んで」と言われようと、相手は一国の王女なのだから何らかの敬称をつけるべきだったのだろう。だが、当時の俺の頭にそんな考えは浮かばなかった。
 
「はい……。フローラ、ですわ」
 
 他人から呼び捨てにされることに慣れていないのか、フローラは少し戸惑いの表情を浮かべ、ほんのり頬を染めた。はにかんだ顔で見つめ合って数秒、フローラは微笑んで再び唇を開いた。
 
「あなたのお名前は何と仰るのですか?」
「ああ、俺の名前は、た……」
 
 言いかけ、俺はハッと口を噤んだ。
(ちょっと待て、俺。ここで俺の『高橋 光太郎』とか言う平凡極まりない名を名乗るのか!?……いや無いだろ。世界を救うために召喚された勇者の名がタカハシ・コウタロウは無いだろ!)
 
 自慢ではないが、俺はゲームの主人公に自分の名前をつけたことが一度もない。中世ヨーロッパ風だったり近未来SF風だったりする世界観の中に自分の名前が入った時の違和感を考えると何だか萎えるし、文字数制限などあった日には『勇者こうたろ』などという中途半端な名前になり、非常に情けなくも物悲しい思いをするからだ。
 だから勇者の名前にはいつも、その時その時で一番カッコイイと思う横文字名前を適当に付けていたのだが……。
 
(うん、大丈夫だ。この世界に知り合いがいない以上、偽名を使ったところでバレる要素がない。しかし、悩むな……。下手したらこの世界の伝説になるかも知れん名だからな。……『アルス』じゃテンプレ過ぎるし……『アルデバラン』……はラスボスくさいし……)
 
 頭にアの付く名前を片っ端から思い浮かべていた俺の脳裏に、その時ふっとある名前が閃いた。
 
「……アーデルハイド」
「え……?」
 
「俺の名は、アーデルハイド。アーデルハイド・タカハシ・コータローだ」
 
 ふと頭に閃いて、うっかりカッコイイなどと思ってしまったその名が、アルプスの山小屋でおじいさんとヤギたちに囲まれて暮らす例の少女の本名であることを思い出すのは、これから数ヶ月後のことになる。
 
「気軽に『ハイド』と略してくれてもいいぞ!」
 
 ドヤ顔でそう言い放つ俺の頭を、時間を遡ってはたいてやりたいものだが、そういうわけにもいかず、この時点で俺のこの世界での名は確定してしまった。
 
「アーデルハイド様……。聞いたことのない響きですわ……。でも、どこか高貴な感じのする素敵なお名前ですね」
 
「……で、この世界には今どんな危機が起きてるんだ?異世界から勇者を召喚しようだなんて、相当な事態が起きてるんだろう?」
 
 わくわくしながら俺はフローラに尋ねた。その軽いノリでの発言が、後にどんな事態を引き起こすことになるかも知らずに……。
 
「まぁ!アーデルハイド様は勇者でいらっしゃるのですか!?」
 驚きのためか、フローラの美麗眉毛がピョコンと跳ねる。
 
「え……?まぁ、その……勇者……って言うか、これから勇者になる予定と言うか……。……ってか、この世界を救うための“勇者”として呼び出されたわけじゃないのか!?俺!」
 
 フローラの反応に雲行きの怪しさを感じ、俺は胸に不安を過ぎらせつつ問う。するとフローラは困惑したように美しい眉を寄せて俺を見た。
 
「……いいえ。この世界に現在、勇者を必要とするような差し迫った危機はございませんわ」
「はぁ!?じゃあ何で俺、ここにいるんだ!?何であんな恐怖体験までしてこの世界に召喚されたんだ!?」
 
 その瞬間、フローラの目が泳いだのを俺は見逃さなかった。
 
 言い訳を探すかのようなしばしの沈黙を一国の王女らしい堂々とした微笑みでやり過ごした後、フローラはきっぱりとこう言い放った。
 
「この世界の学術の発展のためですわ!」
「……………………は?」
 
「この世界の他にもう一つ、この世界とよく似た別世界が存在するということは、遥かなる昔から言い伝えられて参りましたの。けれど、それを証明する手立ては無く、それが真実なのか、空想に過ぎないのかは長年議論の的となっていたのですわ。ですがつい最近、私の叔父である界聖宮長が思いついたのです。私の空間を操る能力を“応用”すれば、この世界と異世界とを“つなげる”ことが可能なのではないかと……。そうして幾度かの試行錯誤の結果、私はついにこの世界の歴史上初めて、世界と世界を結ぶことに成功しましたの。けれど、私のこの身体全体をあちら側の世界へ渡らせることは現状まだ不可能で、腕一本を出すので精一杯だったのですわ。それでもその腕を使い、手に触れたものをこちら側へ引っ張り込み、あちら側の世界にどのような動植物が存在するのか、どのような世界なのかを少しずつ解明してきたのです。これまでは草花や小石や小動物がせいぜいで、向こう側の世界に私たちのような知的生命体が存在するのかどうかも分からずにいましたわ。けれど今日、ついに向こう側の世界にも私たちと同じような“人間”が存在していることが証明されたのです……!」
 
 俺はその説明を呆然と聞いていた。
 そのあまりに堂々とした説明っぷりに一瞬、誤魔化されそうになる。だが俺は話の核心を聞き逃しはしなかった。
 
「それって、つまりアレか……?俺は地球に人間がいることを証明するための証拠物件ってことか?もしくは標本採集的に集められた“地球の生物サンプルその1”ってことか……!?」
 
「そんな……!違いますわ!貴方は単なる証拠物件や生物標本などではなく、あちらの世界を知るための“生きた資料”なのですわ!」
「ソレ、結局同じことじゃんか……」
 
 俺は脱力し、ふらふらとその場に座り込んだ。ガッカリがひど過ぎて、心なしか目眩までするような気がする。
 
「何だよー。せっかく異世界に召喚されて勇者として大活躍できると思ったら、ただの研究資料扱いかよー……」
「ご期待に添えず申し訳ありません。けれど、こちらの都合でこのように強引においでいただいた以上、できる限りのおもてなしをさせていただきますわ」
 
「おもてなし!?」
 
 その一言に俺は瞬時に反応して飛び起きた。
 
(おいおい、これってひょっとして、かなりオイシイ話なんじゃないのか!?タダで異世界ツアーできる上に、地球のことを話して聞かせるだけで、一国の王女、しかもこんな美麗眉毛の美少女が“おもてなし”してくれるとか)
 
 俺は改めてフローラを見つめる。その眉は変わらず、夢でも想像できなかったような理想の形で俺を魅了していた。
 
(イイじゃん。こんな“理想の相手”に出会えるチャンスなんて、この先あるかどうか分からないじゃん。だったらしばらく堪能しとけばいいじゃん?)
 
 俺はその眉に見惚れたまま、自然と首をタテに振っていた。
 
「いいよ。その研究資料だか学術の発展だかに、つき合ってやるよ」
「本当ですの!?」
 
 フローラが瞳を輝かせて歩み寄って来る。
 
「ありがとうございます!この国の王女として最大級の感謝を捧げますわ!」
 
 言いながら、フローラは両手で俺の手を握り、上下に振った。
 最初に握った時にはろくに味わう暇も無かったその感触に、急に心臓が暴れ出したかのような動悸を覚える。
 
(女子の手って、柔らけぇ……っ、てか、近い……。こんなに女子と接近したの、いつ振りだよ、俺……)
 
「い、い、い、いやぁー、た、大したことじゃな、ないってー……」
 
 全身、特に手のひらのあたりからヘンな汗が大量に噴き出しそうな気がして、俺はさりげなくフローラの両手から俺の手を脱出させた。
 
(う……っ、何か、心臓が疲れそうな予感……。大丈夫か?俺……)

☆☆☆

 この時の俺はまだ予想もしていなかった。
 
 この時点ではまだ勇者を必要としていない、まるで静かに凪いだ水面のように穏やかな世界に、異世界の人間という“異分子”が小石のごとく投げ込まれたことにより巻き起こる“波紋”を。
 
 そして、じわじわと広がるその波紋が、やがて大きな波乱となり、この世界を、そして俺とフローラを巻き込んでいくことを。
 
 だが、まだこの時俺が感じていたのは、早摘み苺のように甘酸っぱい初恋の予感だけだった。

 これが、俺が彼女と、彼女の住むセカイに出逢ったハジマリの日。
 
 そして後に不本意にも“英雄王アーデルハイド”などと呼ばれることになる“俺”の始まりの物語なのである。

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このページは津籠睦月によるオンライン小説「ブラックホール・プリンセス」のシンプル・レイアウト版第1話後編です。
用語解説フレーム付きバージョンはもっと先までストーリーが進んでいますが、
シンプル・レイアウト版は後から制作しているため、ストーリーが遅れています。
 
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