ブラックホール・プリンセス(タイトルロゴ)

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第3話:マスコットキャラは勇者が兼任

  

  ――猫はいいよなぁ。居るだけで可愛がられるし、一日中ゴロゴロ寝てればいいんだから。
 ……昔の俺は、朝から平和に日向ぼっこなどしているご近所のニャンコたちを眺めながら、そんな風に思っていた。しかし、今は違う。
 あのネコたちにだって、きっといろんな苦労があるはずだ。端から見ているだけでは決して分からない、当事者にならなければ知ることのできない苦労というヤツが……。
 これは、そのままフツーに“ただの人間”をやっていれば知るはずもなかったそんな当事者(・・・)としての苦労を、ナゼか強制的に知る羽目になってしまった俺の、リアル中二時代のエピソードである……。

☆☆☆

 それは俺が生まれて初めて異世界に召喚され、超絶美麗眉毛の美姫・フローラと出逢い、思いがけないハプニングで地球に帰還した、その夜のことだった。
 制服を埃で汚した上、脇の下を破いてしまい、お袋に軽くキレられた俺は、罰として食後に大量の皿洗いをさせられ、その後、風呂に入ってやっと人心地ついたところだった。
(あ〜ぁ……せっかく夢の異世界召喚を初体験できたってのに、一日も経たないでこっちに戻って来るなんてアリかよ……。もったいな……)
 この時点では、まだ再び召喚されるかどうかなどサッパリ分からず、俺は『もしかしたらもう二度とあの世界に行けないんじゃ……』と、かなりセンチメンタルかつメランコリックな気分に沈んでいた。
(フローラ……。すっっっごい理想的な形の眉毛だったよな……。あんな美形状、もう二度と見られないんだろうんなー……。せめて動画……いや、静止画でもいいから保存できていれば……)
 もう今さらどうにもならないことばかり頭の中でぐるぐると考えながら、俺はシャワーの蛇口をひねる。いつものように熱い湯を頭から浴びようとして……俺はすぐに異変に気づいた。
 普通なら雨のようにシャワーヘッドから真っ直ぐ落ちてくるはずの湯が、途中でぐにゃりと横向きに曲がり、俺の後方へと流れていく。思わず水滴の行方を追うように後ろを振り返り、俺はそこに普通ならあり得ない――だが俺にとってはあまりにも見覚えのある例のアレ(・・・・)を見つけた。
 シャワーから溢れる湯さえも巻き込み、空間を渦巻き状に歪ませて現れた、一本の華奢な腕。相変わらずホラーなビジュアルだが、一点のシミもなく、なめらかに白いその手は、間違いなく異世界の美姫・フローラのものだった。
(えぇぇー……。昨日の今日どころか、今日昼の今夜でもう再召喚かよ。早くね?いや、嬉しいけど)
 予想外の再会(?)、しかも自宅の風呂場にフローラの手というシュール過ぎる光景に、俺の思考はプール後の授業の半居眠り状態くらいのボンヤリさにまで低下していた。だから、一番重大な事実に気づくのに遅れた。
(いや、よく考えたらそれどころじゃない!今、俺、完っ全に真っ裸だぞ……!今はマズい!つーか、何でよりによってこのタイミングなんだよ!?)
「あ、あのさーフローラ……。気持ちは嬉しいし、俺もそっちに行きたいのは山々なんだけどさ……。もうちっとばかし待ってくんね?」
 ダメ元で“手だけフローラ”に話しかけてみる。だが、その手は引っ込むどころか俺を手探りで探そうとするようにワサワサと蠢きだす。
(あぁ〜っ……やっぱ声は届かないのか……)
 絶望的な気持ちに襲われつつも、俺はとにかく手だけフローラに捕まらないよう匍匐前進のポーズをとる。
 このまま全裸で異世界召喚などということにでもなれば、せっかく芽生えそうな恋も大炎上して燃え尽きかねない。どころか、王女に無礼を働いた罪か何かで牢にぶち込まれたり、下手すると何らかの刑に処されたりもしかねない。
(とにかく今は一着でも多くの服を……っ、ってか、せめて下だけでも……っ!)
 こうして勇(気ある)者を捕まえようとする王女(の手)と、異世界召喚から必死に逃れようとする俺、という、よく分からない構図が生まれたわけだが……
 空間をねじ曲げられた風呂場の床は絶妙に歪みナナメっていて、真っ直ぐ脱衣所へ向かいたくても思うように身体が進まない。気づけば俺は知らず知らずのうちに自ら歪みの中心――フローラの手へと近づいてしまっていた。
「……ひッ!?」
 フローラの指先が俺の濡れた腕に触れた……と思ったら、次の瞬間には手首を鷲掴まれ、か弱い姫の力とは到底思えぬ凄まじい力でナゾの異空間にひきずり込まれていた。
「ま、待……っ!今はマズいから!お互い気マズくなるだけだから!」
 いくら叫んだところで召喚は止まらない。相変わらずの阿鼻叫喚の後、向こうの世界へと引きずり出される……
「……ぅ……にゃ……っくしょいっ!」
 その瞬間、真っ裸で異世界到着……という羞恥心よりも、濡れた身体が外気に触れたことによる生理現象の方が先に来た。
 何だかいつもと違うヘンなクシャミだな……と思いながら目を開けると、そこには例の超絶美麗眉毛……じゃなくて、異世界の美姫・フローラの姿が……。
(お、終わった……。俺の異世界ライフ、こんなことで終了なのか……)
 俺は破滅フラグ成立のお知らせを聞いてしまったような気分で打ちひしがれる。
 だが、フローラは顔を赤らめることも嫌悪に顔を歪めることもなく、予想外の言葉を口にしてきた。
「まぁ!ニャンコさん……ですの?私、確かにアーデルハイド様を召喚したと思いましたのに……。不思議なこともあるものですわ……」
(……は!?ニャンコ……!?)
 そこで俺はようやく気づく。いつもと視点の高さや身体の感覚が違うことに……。
 ぎょっとして見下ろすと、俺の全身はいつの間にか、ひどく見覚えのあるモフモフの毛に覆われていた。腹の辺りは白、脇っ腹から脚にかけては濃淡の違うオレンジがかった茶色の毛がしましまの模様を描いている。
(こ、これはまさか……)
 おそるおそる目線を上げると、そこにはフローラの華奢な手のひらより、さらに小さくほっそりとした、紛れもない猫の手(・・・)があった。
「ニャン……だとおぉーっ!?」
 わけも分からずいきなり猫の姿にされれば、普通誰でもパニックにもなると思う。俺も当然のことながらパニックで頭の中身がホワイト・アウトし、気づけばフローラの手を振りほどいて逃げ出していた。
「まぁっ!待ってくださいな!異世界のニャンコさんが無闇に動き回っては、何があるか分かりませんわ!危険ですわ!」
 フローラの声が背後から聞こえていたが、トイレ・ハイの猫状態で衝動のままに駆け抜ける俺の耳には入らない。
 ただでさえ異世界の重力の違いで身体が軽くなっている上、時速48kmにも達すると言われる猫の脚力が加わった俺は、弾丸のようなスピードであっと言う間に界聖宮の敷地の端の辺りまで到達していた。そしてそこで、ある人物と出合い頭にぶつかってしまったのだった。
「きゃあぁぁ〜っ!痛いのですぅぅ……」
「い、いってぇ……」
「……あらあらぁ?ヒトの言葉を話す猫さんなんて、あり得ないのですぅ……。あなたぁ、ひょとしてぇ……異世界勇者のアーデルハイド・コータロー・タカハシさん、ですかぁ……?」
 のんびりした口調ながら、なぜかいきなり俺の正体を見抜いてきたその人物は、俺にとって見覚えのあり過ぎる……しかもあまり良くない印象の残っている相手だった。
「そういうお前は……赤ずきん姫……じゃなくて、リィサ・何とか……!」
「リィサ・ロッテ・リーストですぅ。“お前”だなんて失礼しちゃいますぅ。ウチの国の人が聞いていたらぁ、不敬罪で牢送りになるところですよぉ」
 相変わらず、幼い見た目と、のほほんとした口調にそぐわず、言っている内容がえげつない。
(この女……実は絶対に腹黒だろ……)
 まだ直感でしかなかったが、この時点で俺はリィサの本質を的確に見抜いていた。
「それにしてもぉ……やっぱり人外の姿に変身してしまったのですねぇ……。きっかけは何でしたぁ……?クシャミとかアクビとかしましたかぁ?」
「『やっぱり』って何だ!?『やっぱり』って!あんた、俺がこんななった理由が分かるのか!?」
 不敬罪という言葉にビビり、一応『お前』を『あんた』に改めながら、俺は問う。
「はいぃ……。まぁ、推測ではありますがぁ……。先日私がぁ、命聖玉を用いてぇ、あなたの言葉が通じるようにした際ぃ、ちょっとイレギュラーな事態が発生してしまったようでぇ……」
 リィサは悪びれた様子もすまなさそうな表情も一切見せず言葉を続ける。
「私もぉ……後であなたの生体情報を確認していた時にぃ、やっと気づいたのですがぁ……異世界人に命聖玉を使用したせいなのかぁ……あなたの遺伝情報や体組織はぁ、今とっても不安定な状態にあってぇ……ふとしたきっかけで変質したり組み変わったりしてしまうようなのですぅ……」
「は!?何だソレ!?そんなのあり得んのかよ!?ってか、何でそれで猫になるんだ!?」
「人体にはぁ、現代でもまだ解明されていない神秘がぁ、いろいろあるものですぅ。たとえばヒトとチンパンジーのDNAにはぁ、たった1.6%の違いしか無いのですぅ。グダグダになったぁ、あなたのDNAや体組織が何割かでも変化すればぁ、人間以外の何かになってしまったとしてもぉ不思議はないのですぅ。猫さんになったのはぁ……………………なぜでしょうねぇぇ?私の趣味が影響したとかぁ、ですかねぇ?」
「いや、何言ってんのかさっぱ意味不明なんだが、つまり原因はあんたってことだな!?」
「私のせいじゃないですぅ。私はただ頼まれてぇ、親切心からあなたの言葉が通じるようにしてあげただけですのにぃ……。ヒドいですぅ」
 わざとらしい泣き真似にイラッとしたが、ここで責めてまた不敬罪など持ち出されてはたまったものではない。
「……で、あんたなら俺を元に戻すことができんのか?」
「えっとぉ……」
 リィサは服の中からゴソゴソと例の鍵の形のペンダントを取り出し、俺の頭上にかざして、しばらく無言になった。
「……どうやら、クシャミをすれば元に戻るようですぅ。と言うか、クシャミをするたびに猫さんの姿と人間の姿と入れ替
わるようですぅ。面白い体質になりましたねぇぇ……」
「いや、面白がんなよ!?あんたのせい……あ、いや。そんなんじゃ、おちおちクシャミもできねーじゃんかよ!あんたの力でこうなったなら、あんたの力で元に戻せないのか!?」
 俺の問いに、リィサはしばらくポヤーッとした顔で何かを考えていたが、やがてのんびりとこう言った。
「異世界人にぃ聖玉の力がどう作用するのかぁちゃんと解明できていませんのにぃ、さらなる聖玉使用はぁ、オススメできないのですぅ。まぁ、やってみてもぉ、良いですけどぉ……今度は猫さんどころかぁ、既存の生物の何れともぉ似ても似つかないぃ、キメラ的なナニかになってしまうかもぉ知れませんけどぉ……よろしいんですねぇぇ?」
「いやいやいや!エグいわっ!そんな二択だったら猫の方がマシに決まってるだろ!?」
「いいえぇ、何もぉ失敗すると決まったわけではぁありませんしぃ、もしキメラ的なナニかになってしまったとしてもぉ、その時は私がぁ責任を持ってぇ、うちの秘密の地下迷宮で飼ってあげますのでぇ安心してくださいぃ」
「いやいや、それのどこら辺に安心があるってんだよ!?つーか、秘密の地下迷宮って何だ!?あんたん所、聖玉の力といい環境といい、何もかもが恐過ぎるわっ!」
「失礼しちゃいますぅ。聖玉の力なんてぇ、どこの国のものも似たり寄ったりで“えげつない”ものですぅ。あなただってぇ先日フローラ王女の聖玉のえげつない力の餌食になったばかりではぁありませんかぁ」
 頬をふくらませてむくれるリィサに、俺はハッと“不敬罪”の三文字を思い出す。
「……と、とにかく、クシャミすれば人間には戻れるんだな!?」
「はいぃ。でも、よろしいんですかぁ?あなた、今、全裸のようですけどぉ……。お洋服、どうされたんですかぁ?」
 茶トラ模様の毛皮以外は一糸まとわぬ俺の姿をまじまじ眺め、リィサが指摘してくる。
(そ、そうだったぁー!今人間に戻ったら、確実にマズいことになる!何とか服を調達しないと!)
 アワアワする俺をリィサはしばらくの間、ナニを考えているのかよく分からないボンヤリ顔で見ていたが、ふいに思いもよらない提案をしてきた。
「あのぉ……せっかく猫さんになったのでしたらぁ、その姿を利用してぇ、ちょっと調べ物に協力してもらえませんかぁ?」
「は!?何でだよ!?あんたに手を貸して、俺に何の得があるんだよ!?」
「得があるかはぁ分かりませんけどぉ……あなたの大好きなフローラ王女のためになりますぅ」
「は!?フローラの?あんた、一体何を調べて……」
 言葉の途中で、リィサがひょいと俺を抱え上げた。そのまま俺の猫耳に唇を寄せ、ひそめた声で秘密の話を語りだす。
「実はぁ、先日あなたが捕まえましたぁ元・犯罪組織のボスなんですがぁ、いろいろと不審な点がありましてぇ……。実はあのボスを陰で操ってぇフローラ王女に危害を加えようとした黒幕がぁ、他にいるのではないかとぉ……」
「は!?何だソレ!?あのボス、ただの酔っ払いじゃなかったのか!?」
「フローラ王女の能力に対する恐怖がぁ本能レベルで染みついているこの国の住民がぁ、酒に酔った程度でフローラ王女に闘いを挑むのはぁ、ヘンなのですぅ。それにぃ、あのボスの手足の痙攣とぉ、特徴的な眼球振盪……。前に私はぁ、診たことがあるのですぅ……」
 そこでリィサは躊躇うように一旦言葉を切り、俺の目をじっと覗き込んできた。
「まだ推測の段階ですのでぇ、他言無用に願いますがぁ……あれは、洗脳……いぃえ、心を作り変えられた人間のぉ……症状なのですぅ……。この世界でぇ人間の心を作り変えるような力を持つものはぁ、ただひとつ……八聖玉のうちの一つ、心聖玉のみ、なのですぅ……」

☆☆☆

 原因がどの聖玉なのか分かっているなら、その聖玉の持ち主を当たれば早いと思うのだが、事はそう単純には行かないらしい。
「一国の姫をぉ、何の証拠も無くぅ、犯罪者扱いなんてしようものならぁ、国際問題に発展しかねないのですぅ。ですのでぇ、当面の間はぁ、敵が再びぃ何かを仕掛けて来ないかぁ、様子見ですねぇ……」
「で、再び襲って来たところを現行犯で捕まえたり、言い逃れできないような証拠を攫むってことだな?」
「えっとおぉ…………まあぁ、そういうことぉ、ですかねえぇ……」
 リィサの言葉は何だか妙に歯切れが悪い。……まぁ、テンポが悪いのは元々なんだが。
「先日のボスの狙いはぁ、明らかにぃ、フローラ王女でしたぁ。敵が再びぃフローラ王女を狙って来る可能性はぁ、否定できません……。でもぉ、こちらがソレを警戒してぇ、予め警備を強化したりなどするとぉ、相手もソレに気づいてぇ、襲撃自体をぉ、取り止めかねません。そこでぇ、あなたの出番ですぅ」
「なるほど。この愛くるしいニャンコ姿で油断させといて、いざとなったら例の怪力でフローラを守るってことだな。よっしゃ、把握した!任せとけ!」
「ええぇ。まぁ、そういうことですぅ。フローラ王女はぁ動物好きですしぃ、一国の王女としての財力と権力をぉ持っていますのでぇ、ちょっとくらい珍しい猫さんがいたとしてもぉ、それほど不審には思われないはずなのですぅ。いっそのことぉ、新種の激レア猫さんだから王女に献上されたとでもしておけばぁ、言い訳としてバッチリなのですぅ」
「は……?新種?激レアって、何が?俺、たぶんフツーの茶トラ猫だけど?」
 そもそも人間が変身して猫になっているという時点で全然フツーではないのだが、この時点ではただ『毛の模様的には珍しくも何ともない』という意味で、俺はそう言った。
「あなたの世界ではぁ普通なのかも知れませんけどぉ、こちらの世界では全然普通ではないのですぅ。なぜならぁ、この世界の猫さんはぁ、アレが一般的ですからぁ……」
 そう言ってリィサは俺を抱っこして歩いたまま、庭園の片隅を指差した。そこにはノラ猫か何かと思しき一匹の猫が、のんびり寝そべり毛づくろいをしていたのだが……
「あ……青緑色の金属光沢……!?」
 形状は地球の猫と全く変わらないのに、毛の色だけが明らかにおかしい。まるでクジャクの羽毛の一部のようなメタリックなブルーグリーンだ。
「……重力だけじゃなく猫の毛色まで違うのか。さすがは異世界……」
「ですねぇぇ……。私もビックリですぅ。こぉんな素朴で地味……あ、いえぇ、落ち着いた色合いの猫さんがいるなんてぇ……。こちらの世界の猫さんはぁ、ブルーグリーン系以外にもぉレッド系やゴールド系、シルバー系などいますけどぉ……みぃんな派手でキラキラしててぇ、“動く宝石”と呼ばれていたりぃするのですぅ」
「悪かったな!キラキラしてなくて!地味で!」
「いぃえぇ……これはこれでワビサビ的な味があってぇ良いのですぅ。特にぃ、このピンク色の肉球なんてぇ何だかお菓子みたいでぇ美味しそうなのですぅ。こちらの猫さんは黒い肉球がぁほとんどですからぁ」
 言いながらリィサは許可も無く勝手に人の……あ、いや猫の肉球をぷにぷにしだす。
「あ、ちょっ……コラ!揉むな!ちょっとしたセクハラだぞ、コレ!」
 事前承諾無しの肉球モミモミに猛抗議していると、向こうからぱたぱたと可愛らしい足音が聞こえてきた。
「ニャンコさ〜ん!どこへ行ってしまいましたのー?」
「フローラだ!」
「あなたを探しているようですねぇ。丁度良いのでぇ、このままフローラ王女にぃあなたを預けますぅ。……ちゃあんと猫さんのフリ、しててくださいねぇ」
「おう!任せとけ!」
 猫のフリなんて簡単だ。適当にニャンニャン言ってゴロゴロ寝転がっていればいいんだから……この時の俺はまだそんな風に、猫も演技もナメていた。
 芝居経験もロクに無いド素人が、猫などという人外の役を、しかも劇や映画のワンシーンのような区切られた時間の間だけでなく24時間演じ続けなければならないという困難を、この時の俺はまだ、サッパリ理解できていなかったのだ。 

☆☆☆

「……と言うワケでぇ、この猫さんはぁ、しばらくぅ貴女の元でぇ保護してあげてぇ欲しいのですぅ」
「それはよろしいのですが……本当に元の世界へ帰してあげなくてもよろしいのでしょうか?」
「それはやめておいてあげて欲しいのですぅ。タダでさえぇショックの大きい世界間移動をぉ、時間を置かずにぃ立て続けにするなんてぇ、この猫さんのダメージが大き過ぎるのですぅ」
 『異世界の猫なら元の世界へ帰すべきでは』と常識的な判断をしてくるフローラを何とか言いくるめ、リィサは俺をフローラの腕に押しつけた。
「では、このニャンコさんは私が責任を持って預らせていただきますわ」
 フローラはリィサの手から俺を受け取ると、そのラピスラズリのような濃紺の瞳をキラキラさせて俺の全身を眺めてきた。
「それにしても珍しい色と模様……。なんてエキゾチックなニャンコさんなのでしょう。背中はキャラメル色の縞模様ですのに、肢の先とお腹は雪のように真っ白なのですわね……。………………あら?あなた、男の子でしたの?あまりに愛らしいので、女の子かと思っていましたわ」
「うぎゃ……っ!?み……っ、見るなーっ!!」
 フローラの視線が何に向けられているのかに気づき、俺は思わず絶叫してフローラの腕から飛び降りていた。
 ボディがニャンコに変わっている以上、例のアレもヒワイさのカケラもないフワフワのポンポン状ではあるのだが……そうは言っても『できれば好意を持たれたい』などと思っている女子に、まじまじとソコを凝視されるのは羞恥プレイが過ぎる。
「えっ!?このニャンコさん、今、人間の言葉を話しました?」
 フローラが呆気にとられた顔で呟く。
(し、……しまったーっ!思いっきり普通に人語を叫んじまったじゃん、俺!)
「いっ……いいえぇ……気のせいだとぉ思いますぅ。きっとぉ、異世界の猫さんなのでぇ、鳴き声もぉ、こちらの猫さんたちとぉ、ちょっと違うのだとぉ思いますぅ。ね?猫さん」
 リィサが表面上はニコニコした顔でフォローを入れながら、フローラの死角から『あなたぁ、何をぉいきなりぃドジ踏んでるんですかぁ?』とでも言いたげな感じで俺のシッポの先を踏みつけてきた。
「ミ、ミルニャー。ミルミルニャー」
 俺はあわててソレっぽく聞こえるように猫の鳴き真似をしてみせる。フローラは訝しげな顔をしながらも、何とか納得してくれた。
「本当ですわね。変わった鳴き声ですわ」
「ではぁ、そういうことでぇぇ……その猫さんのことはぁ、お任せしますぅ。それではぁ〜……」
 何が『そういうこと』なのかはサッパリ不明だったが、リィサはそう言うとそそくさとその場を立ち去ってしまった。
 フローラはしばらくの間ニコニコとリィサの後ろ姿を見送っていたが、その姿が完全に見えなくなると、ふいに、それまで見たことのないような鋭い目で俺を見てきた。
(な、なんだ!?この目……っ!まさか、正体に気づかれたのか!?)
 ギクリとする俺から一瞬視線を逸らし、フローラはそのままキョロキョロと、辺りに人がいないか窺っているようだった。
 そしておもむろに……いや、急激に、俺に向かって突進して来た。
「…………っニャンコさんっっっ!!」
「ぐげぶッにゃ」
 いきなり抱え上げられギュウギュウに抱き締められて、思わず口からヘンな声が出る。
「あぁぁんっ!なんって可愛らしいのでしょう!ふわふわのモフモフですわ!」
 そのまま激しく頬ずりされる。
 美姫に抱きつかれ頬ずりされると言えば通常はただのご褒美なのだが、小さな猫の身で数倍の体重はあろうかという人間に持ち上げられ、身体をキツく締めつけられた挙句に激しく上下に揺さぶられるという状況を、ちょっと想像してみて欲しい。とてもフローラの感触や甘い香りを楽しんでいるどころではない。
「ヤ、ヤメニャー!イヤニャー!」
 人語を話すわけにはいかないので、何とか『嫌がってるっぽく』聞こえるよう猫の鳴き真似をしてみる。だが……
「まぁ!先ほどとはまた違った鳴き声ですわ!様々なバリエーションがあるのですわね。可愛い鳴き声ですわ。もっといろいろ聞いてみたいですわ!」
(つ……通じてない……だと……!?)
「私、動物を飼うのがずっと夢でしたの!あなたのような可愛いニャンコさんをお世話できるなんて感激ですわ!」
(え……さっき見たメタリックなノラ猫は飼ってやんないのか?)
 フローラの“ペット飼えない事情”についてまだ知らなかった俺は、そんな素朴な疑問を抱いた。だが、その疑問に対する答えはすぐに判明する。
「姫様。そのお手に抱えていらっしゃるのは、何でしょう?」
 背後から聞こえた、いかにも厳しそうな女の声に、フローラはビクッとして俺を取り落とす。
「痛……ッニャ」
 思わず人語を零してしまい、あわてて『ニャ』を付けて誤魔化す。だが流石に語尾にニャだけではキビシかろうと、おそるおそる人間二人を見上げた。が、幸い二人はお互いだけに集中していて俺のウッカリ発言など気にしていないようだった。
「……変わった毛色ですが、猫、には間違いありませんね?」
「えっと……その……違うんですのよ、フェリア。このコはただのニャンコさんではなく……」
「私、以前にも申し上げたはずですが?見た目にどんなに愛らしくとも、動物というものは、人の身に害となる雑菌を有していることがございます。それに猫には爪も牙もございます。この世に他に代わる者なき尊き聖玉姫の身に万が一のことがあれば、女王陛下にも、この国の民にも顔向けができませんわ」
 口調こそ丁寧だが声に皮肉とイヤミをこれでもかと盛り込んでくるその女は、金属フレームの眼鏡をかけた20代半ばほどの知的美女で、以前この聖玉宮で見た“レトロ・ナース風お姉さん”と似た格好をしていた。だが、以前見た彼女より服の装飾が増え、数段“偉そう”な感じだ。
「フェリア!私の話を聞いてくださいな!このニャンコさんはどうしても私がお世話をしなければならない異世……あっ、いえ、その……リィサ姫からの預り物なのですわ!」
(今、“異世界の猫”って言いかけて止めたよな?誤魔化したってことは、異世界召喚のことは聖玉宮の人間にも秘密ってことなのか?)
 だがフローラのそのとっさの誤魔化しは、ますます事態をややこしい方向へ持って行ってしまった。
「まぁ!リィサ姫様ですって!?あのキメラだの何だのという得体の知れない生き物を大量に飼育しているというお噂の……?そのような方からお預かりした猫など、ますます姫様のおそばに置いておくわけには参りませんわ!」
「そんな……っ、困りますわ!それでは、このコのお世話は一体誰がすると言うのです!?」
「それは私ども女官一同がしっかり務めさせていただきます。聖玉姫猊下の所有物を管理するのも女官の大切なお役目の一つですから」
 フェリアと呼ばれたその女は、そう言うとヒョイと俺を抱え上げた。
(……ん?んん?何か、フローラの時と安定感が段違いだぞ。身体が全然キツくない……)
「待ってください!ケガなどせぬよう、気をつけますから、そのニャンコさんを返してください!」
「いいえ。気をつける・つけないの問題ではありません。動物というものは、どんなに気をつけていても、ふとした機嫌や本能で飼い主を攻撃してくるものなのですから」
 フェリアはそうしてウォーキングの見本のような美しい姿勢で……しかし、思わず『競歩の選手かよっ!?』と疑いたくなるほどの足の速さで俺を運んでいく。
 後ろからフローラが『お願ぁい!連れて行かないでぇ!』という感じで必死に追って来るが、フェリアは振り向くことさえせずに、それを振り切った。

☆☆☆

 そのまま問答無用でフェリアに連れて行かれた先は……
(……何だ、ココ。病院のナース・ステーションか?それともハーレムか?)
 広々とした清潔そうな部屋の中には、例のレトロ・ナース風の裾の長いオフホワイトの衣装に身を包んだ十数人の女たちがいた。下は10代から上は30代と思しきその女たちは、こちらに気づくとキャーッと歓声を上げて群がってきた。
「女官長っ!何ですか、その珍しい色のネコちゃんはっ!」
「フローラ姫様がリースト国の王女様からお預かりになった猫だそうです。今日から私たちでお世話をすることになりました」
 フェリアの口調はフローラに対してのものとは打って変わって柔らかい。顔からも冷たさや厳しさが消えて、まるで別人のように優しげに見えた。
「あぁ。姫様のお手元に置いておくのは危険ですもんねー。いつ例の“歪みの穴”が発生するか分かりませんもん」
「人間だったら予め警戒して距離を取るとかできますけど、動物じゃ無理ですもんね。ウッカリ吸い込まれでもしたら可哀想ですもんね」
 聖玉宮の女官である彼女たちの会話により、俺は思いがけずフローラの“ペット飼えない事情”の真実を知ることになった。
(ひょっとして、さっきの『猫が聖玉姫にケガさせるとマズいから』って理由は、フローラが本当の理由を知って傷つくのを防ぐための、この人なりの気遣いだったりすんのか……?)
 真意を探ろうとするようにフェリアの顔を見上げていると、女官の一人がおそるおそると言った様子で発言してきた。
「あのー……フェリア様。その猫、本当に大丈夫なんですか?あのリィサ姫様からの預り物、なんですよね?見た目は可愛らしくても、油断してるといきなり真ん中からパックリ割れて、中から得体の知れない触手状のナニカが現れて、あまつさえ我々を襲って来たりとか……しませんよね?」
 フェリアはその発言に、一瞬じっと俺を凝視してきた。が、すぐに笑って否定する。
「大丈夫でしょう。いかにリィサ姫様が命聖玉の聖玉姫でいらっしゃるとは言え、キメラの生成はもう何百年も前に聖玉姫協定で禁じられています。このように若そうな猫がキメラであるはずがありませんわ」
(いや、何百年か前にはキメラ創られてたんかい!?しかも、あの赤ずきん姫の持ってる聖玉の力で?……やっぱあの女、ヤバいヤツなんだな……)
 改めてしみじみとリィサの危険性に思いを馳せていると、フェリアは女官に指示してテーブルの上に毛布を置かせ、その上に俺の身体をそっと下ろした。
「それに、ホラ。毛色は確かに変わっていますが、どこからどう見ても、ごく普通の可愛い猫ちゃんではありませんか」
 言いながら、おもむろにフェリアはその細く長い指先で俺の頭や喉や耳の辺りを撫で始めた。
 最初は単に「あ、ナデナデされてるな」くらいの感じだったのだが、その絶妙にゆっくりとした焦らすような触り方に、だんだんと身体の奥に妙な感覚が芽生え始める。
(な……何だ!?この感覚……!何か、身体がムズムズして……ザワザワして……何かが……喉の奥から何かが出て来る……!?)
 自分でも何が何だか分からない衝動に流され、気づけば俺は猫化した本能のままに喉をゴロゴロ鳴らしていた。
「ウフフフ。やっぱり見た目が少し違っていても、中身は他の猫ちゃんたちと同じですわね。ココがキモチ悦いのでしょう?ほ〜ら、もっとあちこち撫でてあげますわよ。もっとゴロゴロ甘えてくれてよろしいのですわよ」
 フェリアはどこかSっ気を感じさせる喋り方で、やけに楽しげに俺を撫で続ける。
(この女……さては猫の扱いに慣れてやがるな……?俺、完っ全に弄ばれてねぇ?悔しい……っでも、ゴロゴロ言っちまう……!)
 気づけば俺は『もっと撫でて』とばかりに、お腹を見せたり横向きになったり、毛布の上を自らクネクネ転げ回っていた。
「きゃーん!可愛い!女官長!私も!私も触りたいです!」
「ズルいわ!私にも撫でさせて!」
 フェリアだけでも手一杯な感じなのに、四方八方から女の手が伸びてきて、身体中を撫で回される。
(ちょ……待……っ!もうゴロゴロが……っ、ゴロゴロが追いつかねぇよ!)
 こうしてレトロ・ナース風女官の群れに全身くまなくマッサージされまくった俺は、気づけば身体中の力という力が抜けきった、ぐでんぐでんのフニャフニャ状態にされてしまったのだった……。

☆☆☆

(……いや、つーかゴロゴロしてる場合じゃなくね!?)
 俺がフニャフニャ状態から我に返ったのは、女官たちの休憩室に連れて来られてから、たぶん30分以上経ってからのことだった。
 さすがにほとんどの女官は通常業務に戻っていたが、交替で休憩している女官たちがたまにナデナデしてくれたり、「カワイイ」「かわいい」と褒めちぎってくれたり、おやつにニボシらしきものをくれたりとチヤホヤしてくれるので、すっかりのんびりくつろぎモードに入ってしまっていた。
(俺、フローラをそばで守らなきゃならねぇのに!とにかくフローラの所へ戻らないと!)
 俺はすっかり定位置になってしまっていた毛布の上から飛び下り、元来た方角へ向かう。
 ……が、そこには猫の手ではどうにもならないドアという名の巨大な障害物が立ちはだかっていた。
(と……届かねぇぇ……っ。無理矢理伸びあがっても全然ドアノブに触れねぇ……っ!つーか、さすが聖玉姫の宮殿の扉……。メチャクチャ重そうで猫の力じゃ頑張っても開く気がしねぇ……)
 自力で開けることを早々に諦めた俺は、脳をフル回転させ、これまで数々の猫動画で見てきた“こういう時の猫のおねだりパターン”を実践してみることにした。
「ニャアァァァ……」
(必殺・ドアをカリカリしながら可愛く鳴いてアピール作戦だ!)
 高級そうな木の扉の下部をカリカリ引っ掻いて意味ありげに女官の方を振り向く。すると室内にいた女官がすぐに駆け寄ってきた。
「キャー!ちょっと、ダメよ!扉にキズなんてつけちゃ、女官長に叱られちゃうじゃない!」
 有無を言わさず抱え上げられ、ドアから遠ざけられる。
(いや、イタズラしたわけじゃないって!俺はここから出たいんだよ!出してくれよ!)
「ニャー!ニャー!出セニャー!」
 頑張って猫の鳴き真似で訴えてみるが、やはりフローラの時と同じで全く通じない。
「……鳴き声まで普通の猫と違うのね。本当に気味が悪いわ。こんな得体の知れない生き物を世話しようだなんて、この国の連中って本当、頭がおかしいんじゃないの?」
 たぶんひとり言だったであろう、そのボソッとした呟きは、しかし、彼女に両腕を掴まれ、まるで“捕えられた宇宙人”状態で連行されている最中の俺にはバッチリ聞こえていた。
(……へ?『この国の連中』……?その言い方、まるでこの女が他所の国から来たみたいな……)
 よくよく観察してみれば、この女官、さっき俺のことを『真ん中からパックリ割れて…』うんぬん発言してきた女官だ。
 彼女は俺を乱暴にテーブルの上に下ろすと、辺りをキョロキョロ見回した。
 この時、休憩中だったのは彼女一人らしく、室内には他に誰もいなかった。それを確認すると、彼女は襟の詰まった女官服の首元からそっと何かを引っ張りだした。
 それは、一見、金のロザリオのように見えた。だが、よく見ると違う。
 ――それは金色のドラゴンのモチーフのペンダントだった。躯に対して垂直に広げられた翼が、ちょうど十字架のような形になって見えるのだ。
 女官はペンダントの表面を大切そうにそっと撫で、深いため息をついた。
「私、こんなヘンな生き物の世話するためにここに来たんじゃないのに。……姫様。私、いつまでこんな所に居ればいいんですか?」
 泣き言のように小さく呟き、彼女はペンダントを再び服の中にしまった。
(……『姫様』?それって、フローラのこと……じゃないっぽいよな?この女、何者だ?ひょっとして、この女が心聖玉とやらの聖玉姫のスパイで、フローラに危害を加えようとしてるのか?)
 警戒心を抱かれにくい猫の姿のおかげで、俺は特に自分から何かしたわけでもないのに、なりゆきでアッサリ怪しい人物を発見できてしまった。だが、ここからが問題だった。
(早く、赤ずきん姫の所へ行って、アヤシイ女を見つけたって教えないと!)
 ……そうは思っても、相変わらずドアという大きな壁が行く手を塞いでいて、部屋から出ることすらできないのだ。
 そのうちに怪しい女官も休憩を終えて部屋を出て行ってしまった。俺は女官たちが部屋を出入りするスキを狙って何とか外へ出ようと脱走を試みたが、そのたびに『コラぁ!お外は危ないんでちゅよー!』とナゾの赤ちゃん言葉で叱られ、元の位置に連れ戻されてしまう。しかも、さすが聖玉姫の宮殿だけあって、戸締りはどこも厳重で、ウッカリ鍵をかけ忘れた窓の一つも見つからない。
 こうして為す術もなく時は過ぎ、俺は夕食にベージュ色でドロリとしたペースト状のナゾ物体を与えられ(ちなみに味は魚介系で意外と美味だった)、大きめの藤カゴに極上のふんわりクッションをたっぷり詰め込んだ即席猫用ベッドに寝かされて、一匹室内に放置されることとなってしまった。

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エピソード3  
 
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ブラックホール・プリンセス」の本文ページです。
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